なぜ聞き取れないのか

2011.08.12

しゃべるのは楽なのだけれども聴きとれないという人はたくさんいます。なぜ聴きとれないのでしょうか?いまも昔もあまり変わりないと思いますが、学校の授業風景は、いつも机の上に本やノートがあり、頭を上げれば、先生が説明しながら黒板に字を書いています。生徒は、先生の説明に耳を傾けるよりも、書き写すことで精一杯。先生の質問も、教科書を見ながら答えてよいのです。まさに目に頼る学習ばかりで、耳からの教育がおろそかにされてきています。フランスでは、小学校の一、二年生に、ヴェルレーヌやプレヴェールの詩を暗唱させ、ドーデやバルザックの一節の聴きとりをさせます。単語が難しかろうとなかろうと、意味がわかろうとわかるまいとお構いなしです。その目的は耳から、つまり音の響きからフランス語を教えるためなのです。日本の国語は、教科書を声を出して読むことはあっても、耳だけで聴きとる授業はありません。日本では子供の頃から、欧米に比べて目に頼らず耳を使う機会は少ないと思います。そのせいか日本人は、人の名前を教えたり覚えたりするのに字を介在させます。「はったです。漢数字の八に田んぼの田と書きます」とか「ヒラリーさんてどのようなスペルですか?」といった具合。日本人が名刺を重宝するわけもわかるような気がします。それに比べて外国人は、驚くほどいっぺんで名前を耳で覚えます。私などは、フランス人に名刺を渡すのが嫌でなりません。口でいえば「ムラセ」ですが、ローマ字のスペルは「Murase」で「ミュラーズ」となってしまうからです。日本人は耳が信用できず、何でも書いたものを欲しがるので、ますます耳の聴きとり訓練ができません。明治時代の「読み・書き・そろばん」の教育が根強く、また新聞、雑誌、テレビなどの視覚主導の時代になってラジオの影が薄くなるのと同時に、耳はその主権を目に譲ってしまいました。