たいまつは、炊事、暖房、照明という火の三つの機能のうち照明の機能を独立させたもので、明かりとしての炎の独自の発展が始まったのは、そのときからであった。たいまつの後継者であるロウソクやオイルランプにも、その考えは踏襲されていく。炎の数を増やしたり、炎の面積や体積を大きくして、あるいは燃料の供給量を増やしたり、空気の供給量を調整したり、じつにさまざまな工夫が行なわれ、夜を驚くほど明るくすることができた。ただし、炎の不完全燃焼の領域を保ちつつ、燃えない炭素の粒をそのなかに多く存在させることによって、である。十分に明るかったとはいえ、それが太陽の「白い光」とは異なる黄色い光であることには変わりがなかった。数十万年にわたる炎の明かりに対する工夫や技術は結局のところ、「白い光」を生みださなかった。なぜ、そうなってしまったのだろうか。炊事、暖房、照明の三つの機能のすべてを兼ねそなえた、炎の代わりとなる新たな技術は可能なのだろうか。はなはだ困難であろう。古代にもそうであったし、いまでもそうであるし、将来ともそれは不可能に近いのではないか。それだけに人類は、数万年、数士万年にわたって炎に頼らざるを得なかった。それしかなかったし、それ以外のことを考える必要もなく、「炎に代わる何か」は、完全に意識の外にあったはずだ。仮に太陽光に近い「白い光」をつくろうとする創造性豊かな人物がいたとしても、結局のところ答えを炎のなかに見つけざるを得なかったであろう。そうすると、炎というすばらしい技術の閉じられたループにはまってしまう。閉じられた技術のループに入り込むと、地道な改良を行なう「漸進的なイノベーション」にはなっても、閉じられた技術のループの壁を突破する「破壊的なイノベーション」への道を開くことはできない。すばらしい技術の落とし穴は、そこにある。黄色い光から「白い光」の明かりに飛躍するには、閉じられたループからの脱出が必要なのだ。