京都で誕生した長い瓦葺きの町家建て様式

2011.11.10

何故、この家に触れたかは、同じ頃の京都では板葺き平屋建ての家が通りに面して町並みをなし、それに混じって二階建てや三階建ての瓦葺きの土蔵がちらほらの状況であったのに対して、こんなに近い所なのに大違いの生活があったことを知ってほしかったのだ。瓦はもう飛鳥時代から寺院の屋根に葺かれていたが、それは本瓦といって物凄く重かった。室町時代の末頃に大津の瓦職が本瓦を改良して桟瓦と呼ぶ軽量瓦を発明した。その頃の京都の町を上から画いた絵に見る瓦屋根がこれであるだろう。京都ではその頃既に建物を不燃化する需要が高まってきていた。絵で見られる瓦葺きの土蔵は質蔵であった。預かった品が安全に保管されていることを示す、質屋の看板としての意味があったと考えられる。通りに面して屋根を連ねていた町でも、古い絵図では家で囲まれた街区の中は空地になっているが、より新しい絵図になると中心部分まで瓦屋根で埋まっている。家が奥に向かって伸びてゆき、間口に比べて奥行きがすこぶる長い瓦葺きの町家が形成されていることが分かる。京都だけが飛び抜けて早く都市化し、家の密集度を高めてきたとすれば、町屋建ての様式が京都で誕生したと言い切ってよかろう。